「どれだけ悲しいか言葉にできない。シドから、ものすごく影響を受けた。60年代に見た彼のギグは一生、忘れない。」とボウイはシド・バレットの死を知り追悼の意を逸早く発表した。
2006年7月7日に伝説のシド・バレットは60歳でお亡くなりになった。その死が発表されたのは7月11日(私のお誕生日だった)。あまりネットで訃報ニュース等をチェックしないのだけれど、友人がお誕生日に伝えるのは...と思ったのか、数日後メッセンジャーにて配信してきてくれた。ピンク・フロイドの創設メンバーで初代リーダーだったシド・バレット。1967年の1stアルバム『夜明けの口笛吹き』を発表(2nd『神秘』にも少し関わった曲がある)、その頃から幻覚剤によるものからか精神を病み、バンドに在籍していられる状態ではなかったそうで脱退(ストーンズのブライアン・ジョーンズの脱退をも思い浮かべる)。その後、シド・バレット(Syd Barrett)のソロ名義で『帽子が笑う…不気味に』、『その名はバレット』の2枚を残したまま...。これまでも死亡説、廃人同様ながら生きている...などと幾度もこの正しく伝説のアーティストの噂は囁かれ続けていたように思う。 私がシド・バレットという名を知ったのはやはりボウイ。1973年の『ピンナップス』というカバー曲ばかりのアルバムの中に入っていたから。いつものごとく、「シド・バレットって誰?」「ピンク・フロイドって、あの?」(と言っても音楽雑誌で少し知っていた程度)と、そのオリジナルが聴きたくなるのだった。だって、ボウイが魅了された大好きな曲なのだから。『夜明けの口笛吹き』を買いヘッドホーンで繰り返し聴き、眩暈がする程の衝撃を受けた。フィードバック、サイケデリック、当時のアート感覚に頭がグルグル。少し怖い様な、”スゴイ~!!”という様な感じを楽しむ17歳の頃を思い出す。『See Emily Play』のポップさはボウイのカバー集の中でも直ぐに好きになった。そして、ジャケットに写るシド・バレットのルックスにも惹かれた、というか気になった。 「これらの曲は当時の僕にとって、それは大切なものだった。1曲1曲が当時の僕には意味があった。僕にとって当時のロンドンがこれらの歌だった。金曜の夜になるとロンドンにやってきて、そこで起こってることを見ていた。いつも一晩泊まって・・・・・。」とボウイは嘗て語っていた。 ボウイがシド・バレットから受けた影響の大きさは私にも伝わるのだ。とても大好きだったと。シド・バレット、初期ピンク・フロイドのライヴを体験しているボウイは、シド・バレットの精神を後のグラム・ロックと呼ばれる時代に愛を込めて引き継いだお方の様に思う。プログレにお詳しい方々の中にボウイもお好きな方は多い。グラム・ロックを軽薄だとあまり評価されないお方も知っている。そんな事はどうだっていい!デヴィッド・ボウイというアーティストが真にプログレッシヴなのだから。ボウイがシドの死を言葉に出来ない程悲しんでいる。そう思うと私は涙が止まらない...。シド・バレットの活動時代は追体験。残された作品は永遠だ。私は作品でしか知らないシド・バレットの素晴らしさを、当時を生き、今も生きるボウイから伝えられる。ボウイより1つお兄さんのシド・バレット。お誕生日はボウイと2日違い。引退後のシド・バレットは幾度か病院の入退院を経て、お母様と一緒に静かに生活されていたそうだ。私もご冥福をお祈りしている。
by bowieworld
| 2006-07-24 23:58
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