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リンゼイ・ケンプとパントマイム

リンゼイ・ケンプとパントマイム_f0004532_20483554.jpg嗚呼!ボウイ、ボウイ♪昨夜も友人達とのイベントがあり、ボウイの”スターマン”をかけさせて頂いた。友人にもボウイ・ファンは多いのでとても心強い。それなのに「ボウイ館」を9月に更新していないというのも...。でも、ミーハー路線の文章しか書けないので、「ボウイ館」は緊張する。でも、次は予定通り、60年代の続きでリンゼイ・ケンプとの出合いについて。これは、ボウイ語録でもあるのだけれど。

「一緒にいることで、計り知れないほどのものを彼から学んだ。リンゼイがコクトーやシアター・オブ・アブソード、アントナン・アルトーのことを教えてくれた。また、人々の期待を、敢えて逆らうことも教えてくれた。それは時として、ただ驚かすためだけに、また時として、人々を教育する力ともなるのだ。彼は芸術を実験台にするというアイデアを与えてくれた。実生活ではやらないようなことができ、危険を冒せる。芸術を実験の場として使い、その中から新しいライフ・スタイルを見つけ出すんだ。」
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「リンゼイ・ケンプは生きたピエロだった。彼はピエロのように振る舞い、生きた。悲劇的でドラマティックで、生活そのものが舞台だった。だから、彼がステージでやることは、自分自身の延長そのものなんだ。ピエロや女道化の役を借りたり、ジュネの作品を使ったりはしていたけれどね。リンゼイはジュネをこよなく愛していた。オスカー・ワイルドやジェイムズ・ジョイスを使ったこともある。」

これらの語録の中に登場する固有名詞の方々は、私も今も好き。リンゼイ・ケンプが愛したジャン・ジュネって凄く私なりに分かる気がする。ジュネやワイルドの名を知ったのは10代の頃でやはりこうしたボウイの言葉からだった。ボウイが好きなことを私も知りたいと思う。でも、全てを私も好きになることはできないし、そう思いこむこともない。でも、自然と時間が掛かったりしても色んなことが、人が、芸術という中で繋がっていく喜びを得る事ができた。そういう私は幸せだし、やはりボウイという核があってのこと。全てはボウイに行き着くように思っている。

この時期(1967年頃)に、ボウイはパントマイムを学ぶことになる。パントマイムや歌舞伎から得たものを、ロック・ステージに取り入れ成功した最初のお方はボウイだろう。その後も、ずっとマイムの練習は続けておられるようにお聞きする。そんな師リンゼイ・ケンプのショウのためにボウイが曲を書き、そのお返しにフリーのレッスンを受けるという約束が交わされていたそうだ。いいお話だなぁ~って思う。リンゼイ・ケンプとボウイ、その関係を考える時、私の連想ゲーム癖の頭はケン・ラッセル~デレク・ジャーマン~サイモン・ターナー...と華麗なる英国映像美学で噎せ返る。そしてシェイクスピア!さらに、フェリーニ~ヴィスコンティ~ヘルムート・バーガー...などと共に。大好きな音楽と映画も文学も切り離せない。私はどれも優先することができない。
by bowieworld | 2006-09-24 19:16 | 盟友・旧友・関連アーティスト
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