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イアン・マカロック(Ian McCulloch)がボウイに捧げた曲 『Me And David Bowie』 とボウイのカバー曲 『The Prettiest Star』★

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★ボウイの死を世界中の人々が追悼し哀しみを共有している。強靭な精神力と優しいボウイの連鎖。いいな☆しかしながら、ボウイの影響は多岐に渡るので、「ボウイロス」が世界中で広がり今現在も進行中。私自身、やはり複雑な想いなのですが、なんとなくまだポカンとした空虚なものが漂う感じです。比較的、心は平穏であるようなのですが...。そして、もしかしたら復活したりして?!なんて。

デヴィッド・ボウイという存在を知り夢中で音楽(洋楽が主となって)を聴くようになった頃。あの蒼い刻を想起しながら色んなアーティストが浮かびます。80年代は正に思春期で、日増しにニュー・ウェイヴとかポスト・パンクと呼ばれる音楽が大好きになってゆきました。情報が少ないので音楽雑誌とラジオのエアチェックは欠かせないものとなり、次第にテレビ離れし今に至っています。
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ボウイ~ケイト・ブッシュ~ジャパンは私の洋楽開眼に導いてくださった方々です。でも既にキャリアもあり新譜を聴きながらも旧譜も探す旅の始まり。そんな中、なんとか同時代的に生きながら今も好きなアーティスト、殊にボウイから強く影響を受けたお方のお一人にイアン・マカロックを挙げることができます。エコー&ザ・バニーメンのファースト・アルバム『クロコダイルズ』です。セカンド・アルバムの『ヘヴン・アップ・ヒア』もリリースされていたと後から知るのですが、あの耽美的なジャケットに魅せられて。安いアメリカ盤(SIRE)でしたけれど。エコー&ザ・バニーメンのことはまた綴りたいと思います。

そのエコー&ザ・バニーメンのリーダーでヴォーカルのイアン・マカロックの曲「Me And David Bowie」やボウイのカバー曲「The Prettiest Star」を聴いていました。イアン・マカロックは新作が聴けないボウイは病気でもうすぐ亡くなるのかも知れない、との想いで居たそうです。そして「Me And David Bowie」を作ったのですが、2013年に突如『ネクスト・デイ』で大復活を遂げたのでした。マカロックはどんなに嬉しかっただろうか!12歳の時にボウイの「スターマン」を聴いて以来のファンのようです。ボウイの病気を心配し、その想いから曲を作るという感覚は少年時代からのアイドルでありファンゆえのこと。そんなイアン・マカロックが好きです。ヴォーカルも衰えることもない。あの美形なルックスにミスマッチな辛口な発言なども蘇ります。

衰えないヴォーカルです!
Ian McCulloch - "Me and David Bowie"


素晴らしいカバー!!
Ian McCulloch - The Prettiest Star Bowie cover


☆ボウイ、あなたがプリティエスト・スター!☆
David Bowie - The Prettiest Star


★暫く此処『ボウイ館』の更新が出来ずにいたのですが、ボウイを追悼すると共にやはり「ありがとう、ボウイ!」としか思えないので、想いがあふれるばかりですので、出来るだけ頻繁に更新したいと思います。訪れてくださる方々、ご縁に感謝いたします。これからもどうぞ宜しくお願いいたします♪

# by bowieworld | 2016-01-19 15:55 | ボウイの曲のカバーたち

チベット仏教の高僧ラマ・チメ・リンポチェによるボウイへの追悼メッセージと祈り★そして、ボウイがラマ・チメ・リンポチェに捧げた曲「Silly Boy Blue」♪

チベット仏教の高僧ラマ・チメ・リンポチェによるボウイへの追悼メッセージと祈り★そして、ボウイがラマ・チメ・リンポチェに捧げた曲「Silly Boy Blue」♪_f0004532_13151867.jpg
★ラマ・チメ・リンポチェ(チベット仏教の高僧)は、若きボウイと60年代から親交のあった、またボウイが一時仏教徒であった時期の先生にあたるお方です。お顔を知らずにいたのですが、ボウイの訃報を受け追悼メッセージと祈りを捧げてくださり、ようやくこのお方がボウイの語っていた「チメ・ヨン・ドン・リンポチェ」だと知り得ました。とても嬉しいです。各国へ亡命し活動を続けるチベット僧やチベットの人々。ボウイと親交のあったラマ・チメ・リンポチェという高僧は英国籍のようです。生徒にはボウイだけではなく、トニー・ヴィスコンティとメリー・ホプキンの名もあります。

ボウイ・ファンの方々やメディアの方々の、政治的な事柄はなんとなくややこしいので回避しておこう...というお気持ちは理解できます。私も嘗てはそうでした。でも、ボウイのこのメッセージに強く賛同する者ですので、このチベットに関するテーマを避けるのは自分で卑怯だと思います。なので今の想いを綴っておきます。ボウイが「セブン・イヤーズ・イン・チベット(Seven Years in Tibet)」を発表することさえ、世界的スターであるボウイゆえに、その影響力を思えば批判や圧力も覚悟の上でのことだったと思います。そんな強い意志を持つボウイが好きです。ボウイに限らず、賞賛と批判を受けながらも自己の世界を貫くお方が好きなようです。
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この「セブン・イヤーズ・イン・チベット(Seven Years in Tibet)」が発表されたのは1997年です。英国領であった香港が中国に返還された年でもあります。ボウイの僕は近年チベットで起こっている政治的状況に、音楽を通じて何らかの関わりを持ちたいと思った。"この曲は家族を殺され、自国内で無力化させられている若いチベット人たちの絶望感や苦悩を表現している"という発言は重要で、チベットの人々が殺されている現実、それは誰がしているのでしょうか?中国です。中国共産党です。また、中国のみならず西欧諸国の核廃棄物まで中国政府はチベットやモンゴルに放射能廃棄物を保管しています。この事は1991年にダライ・ラマ法王が声明され、後についに中国政府も認めました。勝手なものです。またダライ・ラマ法王は「中国は文化的虐殺(ジェノサイド)を行っている」と中国政府を批判しました。(参照:チベット)度々、中国は日本に対して軍国主義云々と抗日発言や軍拡を続けていますが、賢明な中国の人々は内心呆れておられるのかも?と思います。しかしながら、中国国内ではGOOGLE検索が出来ないともお聞きします。選挙もない一党独裁の上、言論統制と弾圧、環境汚染、折角の素晴らしい文化まで破壊して残念です。私は中国のお茶の文化など、とても好きなもので。中国の人々もお気の毒に思います。誰も生まれる国を選べないのですから。

まあ、色々とんでもない大国への憂慮は増すばかりですが、ダライ・ラマ法王のロンドンでのインタビュー(2015年9月21日)から引用させて頂きたいと思います。

習国家主席と話をする機会があれば、何をお話になりたいかお尋ねすると、法王は次のように述べられた。

「おそらくこう言うでしょう。チベットは、7世紀から9世紀の記録が明らかにしているように歴史的に独立国であったが、現在は独立を求めてはいない。われわれチベット人は、中華人民共和国の枠組みの一部になることで発展を手にすることができるが、チベット独自の言語、文化、宗教も同時に守り続けることができなければならない、と。そして、習国家主席が昨年パリとデリーで『仏教は中国文化において重要な役割を担っている』と発言したことを思い出してほしいと言うでしょう。仏教が育んできた価値観は、習国家主席が目指しておられる不正や汚職の封じ込めに役立つ可能性があるのですから」

イギリス、ロンドン 2015年9月21日 

チベット仏教の高僧ラマ・チメ・リンポチェによる
ボウイへの追悼メッセージと祈り
(2016年1月11日)



そして、こちらは
ボウイがラマ・チメ・リンポチェに捧げた
1967年の曲「Silly boy blue」
(2001年2月26日)です☆



以下、2012年に他のブログに綴ったものですが、「ボウイ館」へも記しておきたいと思います。

1997年にボウイがリリースしたアルバム『アースリング』に収録されて、シングル盤にもなった「セブン・イヤーズ・イン・チベット(Seven Years in Tibet)」という曲が、ここ数年私の中でボウイの重要な曲の一つとして蘇ってきたのです。この同年にはジャン=ジャック・アノー監督による映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』も公開された。原作はドイツ人で元ナチス親衛隊(ナチ党員でもあった)ハインリッヒ・ハラーの自伝『チベットでの七年間』。刊行は1952年。ハインリッヒ・ハラーがチベットで過ごした7年間、ハラーと若きダライ・ラマとの交流を脚色を加えて描かれたもの。当然の事ながら、中国共産党は公開してほしくない作品なので、中国では上映禁止となった。主演はブラット・ピットやデヴィッド・シューリスという米英の有名な俳優たち。またダライ・ラマの母親役を演じたのは、ダライ・ラマの実妹ジェツン・ペマである。

「セヴン・イヤーズ・イン・チベット」の曲について、ボウイ自身は以下のように語っています。

チベットの状況について何か発言したかったんだ。僕は19才の頃ににわか仏教徒になった。半年ほど勉強したかな。実に素晴らしいチベット人たちと知り合った。ロンドンのチベット協会でのことだ。その中の一人とは数年間付き合いを保っていた。彼の名前はチメ・ヨン・ドン・リンポチェといい、ロンドンの大英博物館の翻訳者なんだ。当時僕が非常に影響を受けていた本にハインリッヒ・ハラーというドイツ人の『チベットでの七年間』というのがあった。彼はごく初期の内に実際にチベットに行った西洋人の一人だった。この本の卓越した実在感と実に崇高な哲学は感動的だ。何年たっても忘れることのできない本だった。そこで僕は近年チベットで起こっている政治的状況に、音楽を通じて何らかの関わりを持ちたいと思った。この曲は家族を殺され、自国内で無力化させられている若いチベット人たちの絶望感や苦悩を表現している。敢えて具体性を追求しすぎないようにした。表現主義的なレベルの歌詞の方がより効果的だからだ。曲全体から漂う雰囲気を感じ取ってほしい。

デヴィッド・ボウイ
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チベットハウスでのトニー・ヴィスコンティとデヴィッド・ボウイ
US ベネフィット・コンサート にて(2001年)


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# by bowieworld | 2016-01-16 12:38 | ボウイに付随する私的な想い

ボウイのいない朝を迎えても・・・★

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★ボウイの死から3日目の朝を迎えた。こんな数え方嫌だな...でも数えてしまうのです。そして、やはりボウイって人間の姿は仮の姿であって、どこか遠い星へ帰って行ったのかも?と。ボウイが好きになり無我夢中だった。何に?って、ボウイに!なのであの小娘の蒼い刻が昨日のことのように蘇るのです。級友たちは恋に芽生え青春謳歌している中、私はボウイに恋していたのだと思います。「デヴィッド・ボウイ」というこの世の者とは思えない「美」の存在に。当時から、こんな私を友人たちは「変わってる」とか「現実を見ないと」...云々。あれから30数年経た今の私も然程進歩しているようでもないけれど、好きなもの、尊いと思うものが刻まれ深くなっている気はします。その心の核にボウイはしっかり在る。消えることなど無い。ゆえに、ボウイのいない朝を迎えても・・・これからも私の人生と共に在ることには何ら変わりはないのだと。幸せ者です。

ボウイの死因は肝臓癌だったとの報道。私の父もそうでしたので壮絶な痛みとの苦闘の最期を想います。生き貫く姿をふたたび見たようで、父とボウイの死がオーバーラップしてしまいます。ボウイも延命治療など望まなかったのでは、などと想像したり。人が自分の死を覚悟する。その感覚はかっこいいけれど愛する人の死への想いは人それぞれ違うのでしょう、家族内でさえ。ボウイはご自身の死を覚悟した上で作品を私たちへの贈り物として遺してくださった。その強い意志が、心が託された作品が『★ ブラックスター』であり、ミュージカル『ラザルス Lazarus』である。下の写真は『ラザルス』の初日(12月7日)のもので、ボウイの公の場では最後のもののようです。

ボウイが死を以って遺してくださったものは、これからますます不穏で混沌とした世界を生きる私たち、子供たちへのメッセージでもあるようです。まだ一緒に生きて欲しかったけれど...☆

以下、2つの興味深い記事を引用させて頂きます。
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デヴィッド・ボウイの共同制作者「1年以上前に肝癌だと告げられた」

12月にNYで上演がスタートしたミュージカル『Lazarus』をデヴィッド・ボウイと共同制作したイヴォ・ヴァン・ホーヴェ舞台監督が、ボウイの最期の日々について語った。監督は、「1年と3ヵ月以上前に、彼(ボウイ)から肝癌を患っていると告げられた。彼自身が知ってすぐだ」と、オランダのラジオ局NOS.nlに話した。ボウイは、制作現場に常に立ち会うことはできなくなるかもしれないと考え、監督に告げることにしたようだ。彼は「僕らは来年、集中的に作業しなくてはならない。もし僕がそこにいられないとしたら、これが理由だってことを知っておいてもらいたい」と話したという。ボウイは『Lazarus』の初日(12月7日)、キャストや監督とステージに立ち、観客からの拍手に応えた。これが公の場での最後の姿となった。壇上のボウイは元気なように見えたが、実際はとても具合が悪かったそうだ。ヴァン・ホーヴェ監督はこう話している。「彼は元気そうだと報道されたが、舞台裏では極度の疲労のため倒れていた。そのとき、僕は悟ったんだ。彼に会うのはこれが最後かもしれないって」それ以前のリハーサルでも、身体的にはとても弱っていたそうだ。しかし、「精神的にはそうじゃなかった」と、ボウイは作業を中止するのを拒み、病と「獅子奮迅の勢いで闘っていた」という。監督はまた、『The Times』紙のインタビューで、ボウイは最後まで創作活動を続けようとしていたと明かしている。「(舞台挨拶の日)彼はとても弱っていて、ステージから降りたとき椅子が必要だった。でも、彼はこう言ったんだ。“さあ、次のを創ろう”って」ボウイが死を覚悟の上、制作した作品はもう1つある。遺作となったニュー・アルバム『★(Blackstar)』が、亡くなる2日前、彼の69歳の誕生日だった1月8日にリリースされた。

引用:BARKS 2016-01-13 17:54:34



『ラザルス』 レポート

物語は小説から40年後の世界が舞台。マイケル・C・ホールが演じる地球に留まったままのニュートンは、死にきれない魂を抱えている。だから物語は、彼に安らかな結末を迎えさせてあげたい、宇宙に返してあげたい、という内容のもの。物語のキーは、彼を宇宙に返してあげたいと思う“天使"に出会うこと。ソフィア・アナ・カルーソがその“天使"をイノセントにフラジャイルに、美しく演じている。

ミュージカルは、アルバムからの新曲でもある「ラザルス」で幕開けするのだが、この歌詞がさっそくスゴい。「ここを見て/僕は今天国いる」「僕は傷を抱えている。誰の目にも見えない/僕はドラマを抱えている。誰も奪うことのできない/すべての人がもう僕が誰なのか知っている」「僕にはもう失うものなどない」と。すでに発表されているシングル「★」も彷彿とさせるジャズに影響されたと思われるが、しかし不惑な世界を象徴するようなナンバー。素晴らしいのは、主演のニュートンが歌い出した瞬間、ボウイが歌っているようにしか聴こえなかったこと。彼は、ボウイを自分の中で取り込み、しかし安っぽいマネに陥ることなく、ボウイの歌を絶妙なバランスで彼なりに体現していた。そしてこの歌がさっそく舞台全体のトーンである、ディストピアとも言える、破綻した世界観を映し出していた。ステージはスタイリッシュだが、非常にシンプル。ベッドと外の世界を映し出す巨大なTVスクリーン、そして、レコードプレーヤーと、ボウイのアナログ盤が置かれていた。そのミニマルなスタイルが、正に世界の孤独を表していたようでもあり、また舞台の隅々にボウイの分身がいるようだった。さらに、舞台の背景には、ガラス越しに、サックス奏者も含めたバンドがいて、彼らの姿も見えるようになっていた。

主人公のニュートン以外の出演者も最小限だが、この舞台のユニークだったところは、彼らの断片的な情報の台詞に観客が混乱しそうになったと思えた瞬間に、ボウイのヒット曲「チェンジス」などが歌われるという感動的な構成になっていたこと。つまり、目の前に暗黒が見えた瞬間に、ボウイの曲が観客への光となって照らす役割を果たすのだ。しかも、たった200人の小さな劇場で、俳優達が、生で、大音量でボウイのヒット曲を歌うのである。そのエンターテインメント性と言ったら破格で、でもだからこそ、シュールな物語とのギャップに、迷宮に入り込んだ錯覚に陥るという素晴らしい構成になっているのだ。ボウイの曲は、サックスなどが入ったジャズっぽいアレンジで演奏されることもあった。しかし、それぞれの曲が、その時のシーンを見事に反映していた、というのも、興味深いところだった。そういう意味では、この舞台は、ボウイが一貫して描いて来た物語の延長線上にあるとも言える。TVスクリーンに映し出される奇妙な映像は、ニュートンの混乱した心理の混乱を映しだすこともあったし、またはメディアの混乱を映し出すこともあった。登場人物達の人格は、物語に複雑な視点を与え、物語を進行させる機動力となっていた。ダークなディストピア的な舞台は、ボウイらしい世界観であり、しかし、そこで展開される物語は、主人公の孤独、そしてだからこそ人と繋がりたいという思い、そして愛。しかし、その愛が不条理な暴力によって破壊されることについてである。ただ、主人公は、最後に、美しく悲しい結末を迎える。「ヒーローズ」に終わるこの物語で、ボウイは地球に対して何を言いたいのだろうと思わせるエンディングでもある。

ボウイは、これまで自身が様々なペルソナになって、時代の物語を反映してきた。ここで映し出された世界観というのは、恐らく彼に今見えているカオス化した世の中を映し出す物語であり、それがあまりに混乱しているため、ミュージカルというある種大げさな物語にまでして語る必要があると思ったのだろう。そして、この物語の出発点となった「ラザルス」が新作『★』にも収録されているように、このミュージカルと新作には、兄弟のような親密な関係性があるのではないかと思うのだ。ジャズ的なサウンドで世界の混沌を表し、しかし、その力強い曲が観客に光となるような、ボウイの新たなペルソナの地球への帰還を益々期待させてくれるようなミュージカルだった。

Text by Akemi Nakamura

【『ラザルス』で使用された楽曲(※舞台使用順)】
01.Lazarus(新曲)
02.It's No Game
03.This Is Not America
04.The Man Who Sold the World
05.No Plan(新曲)
06.Love is Lost
07.Changes
08.Where Are We Now?
09.Absolute Beginners
10.Dirty Boys
11.Killing A Little Time(新曲)
12.Life On Mars
13.All the Young Dudes
14.Always Crashing in the Same Car
15.Valentine's Day
16.When I Met You(新曲)

引用:デヴィッド・ボウイの最新シングルと
同名舞台作品『ラザルス』のレポートが到着
OK Music 2015.12.20 18:00


# by bowieworld | 2016-01-14 10:10 | ボウイに付随する私的な想い

世界最強の狂おしく美しきロックスター★デヴィッド・ボウイ死す!

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★美の殉教者のような美しき我がヒーロー!デヴィッド・ボウイが亡くなった。古き良き理解者の友人からの知らせで知りました。今もなにかポカンとした気分で、久しぶりに『ボウイ館』を更新しています。2016年1月8日に69歳のお誕生日を迎え、新作アルバムがリリースされたばかりの訃報。世界中の多くのボウイ・ファン、ボウイ・チルドレンのために闘病の中、遺作『ブラックスター BLACKSTAR』は贈り物。意味ありげなジャケットにボウイのメッセージが込められているのでしょう。「人気ロックスター」などという陳腐な形容は似合わない異色のスター。不思議なスター。美しき表現者、デヴィッド・ボウイ!

中学生の頃からの一等大好きなアーティスト。ボウイのお陰で今の私が在る、と断言できる。そして共に生きている愛しき小さなお店ヴェルヴェット・ムーン VELVET MOONも然り。ボウイが死んでしまったなんて...でも、これからも私の人生、ボウイと共に生きていくことに何ら変わりはないのだと思います。ただ、もう新作が聴けないこと、嘸かしダンディであろう美老人のボウイのお姿を拝見することはない。最期まで美を貫いた、世界最強の狂おしく美しき男、デヴィッド・ボウイの死を哀悼!そしてボウイから多くの事を学び、思考して生きて来ました。ありがとうございます!

(我がカリスマ、2016年1月10日永眠の訃報に記す)


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# by bowieworld | 2016-01-11 19:03 | ボウイに付随する私的な想い

デヴィッド・ボウイ様☆66歳のお誕生日おめでとうございます☆そして10年ぶりの新作発売決定に歓喜!

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★デヴィッド・ボウイという響きと共に30余年の月日が流れ、今、そしてこれからもボウイから色々な影響を受けながら私のちっぽけな人生は在るのでしょう。デヴィッド・ボウイという固有名詞を耳にしたり活字で出会ったりするだけで、今も心ときめくのです。あの感動の「リアリティー・ツアー」の終盤での心臓手術。ボウイがお元気であればそれで良くって、あのお声さえあればピアノだけでも、ギターだけでも、アカペラであってもデヴィッド・ボウイ・ワールドは表現可能。なので、じっとじっと、いつか新曲をって願いながら10年を経ました。

今日はボウイの66歳のお誕生日。おめでとうございます!そして、風邪がぶり返して不調な私にボウイの新作発表の朗報が届きました。通算30作目となるスタジオ・アルバム『The Next Day』が3月に発売されるそうです。プロデューサーは盟友トニー・ヴィスコンティです。先行シングルは『Where Are We Now?』でボウイがご自身のお誕生日に世界中の多くのファンのために届けてくださった、「待たせてごめんね」っていうボウイのお優しいお気持ちだろうと想い、とってもとっても嬉しくて泣いています。半引退状態だというニュースが流れる度に複雑な想いでその記事を読んでいました。私は14歳以降、ボウイの美を根源に生きて来た。進路もお仕事もすべて今の私にボウイが在るのです。それもとても自然な流れで。ボウイに感謝!そして新曲のPVをありがとうございます!


# by bowieworld | 2013-01-08 23:30 | 美麗ボウイ・お気に入りフォト